それはそういうもんなんだから自分を責める必要はない。

最近面白くて一気読みしてしまった本。
街場の現代思想
内田 樹 / / NTT出版
(自分が読んだのは文庫版ですが、ライフログに書影がないのでこれで)

「下流志向」の著者である神戸女学院大学の内田樹教授が
2004年に書かれた本が文庫化されたものなのですが、
今読んでも普遍的かつティピカルな問題を、簡潔な言葉で解説されています。
もともとはミーツ・リージョナルというタウン誌で連載されていた原稿が中心、
というのがなかなか興味深い。
(個人的に、ミーツは現在関西で発行されているタウン誌の中で
一番コアで面白いと思う雑誌でございます)

で、個人的につい反応してしまったのはそのなかの一節。
『「文化資本」には「家庭」において獲得された趣味や教養やマナーと、
「学校」において学習した獲得された知識、技能、完成の二種類がある。
(中略)「家庭」で修得した文化資本と、
「学校」で修得した文化資本との差は「ゆとり」、
あるいは「屈託のなさ」のうちにある。
その「ゆとり」は何よりもまず「無防備」というかたちを取る。
芸術作品を前にして「ぽわん」としていられること、
この余裕が「育ちの良さ」の刻印なのである。』


コレを読んでぽんと膝を打ったことが。
実は、先輩に芸術家の息子がいるのですが、
その人がなんかそんな感じなのです!
その先輩の家には、我々が美術館へ見に行く絵がふつーにおいてあります。
うわ、これカンディンスキー?とか、吉原治良?とかが
「本人と作品を交換した」とかで積まれている。
あまりにも無造作に置いてあるので、
保存状態がむちゃくちゃだと美術館の学芸員に怒られたくらい。
他にも両親の結婚式の写真が某美術館の収蔵品だとか、
子供のころのスナップ写真に著名人が一緒に写ってるとか。
けれど、その先輩が美術品を観るときに考えることは、
それが誰の作品かだとかではなく、
「この作品はなんのために作られたのか、
作家はなにを表現したくてこれを描いた(創った)のか」のみ。
そこにあるものをそこにあるものとしてみるだけ。
だから、何を観てもぽやや~んとした感じ。
そして誰と会おうとも態度はニュートラル。
それが常々うらやましいと思っていたのは、
「育ちの良さ」に対する嫉妬だったとは!(←気づくのが遅すぎ)。

で、我々俗物は「美術品」と言われるたぐいのものは
美術館の中とかガラスケースの向こうとか
柵の向こうにしか観たことないので、
ついうっかり構えちゃって
「これは教科書に載ってた作品」とか、「作家は美術史ではこのあたりの人」とか
「高そう」とか、「この展覧会でコレが観れるのはお徳」とか
「好き」「嫌い」以外によけいな情報を引っ張り出してきたりするため、
作品を見ることに多少なりとも
「観る」以外の「費用対効果」を求めちゃったりしているわけです。
でも、それってはっきり言って貧乏くさい!!(涙)
っていうか、実際貧乏人なんだけどさ!(開き直り)

しょうがない。今から生まれ直すわけにもいかないしね。
これが格差社会というものなのです(ええっ?)

いったい何の話だ。

とりあえず、引き続き「子どもは判ってくれない」も読んでます。
子どもは判ってくれない (文春文庫)
内田 樹 / / 文藝春秋




この方の本は
「これこれこういう本」という説明をするのが大変難しいです。
なぜなら、ご本人もあとがきで
「この本で一貫して伏流しているのは、
世の中がこれからどうなるのかの予測が立たないときには、
何が「正しい」のかを言うことができない、という『不能の覚知』である。
その「不能」を認識した上で、
ものごとを単純化しすぎるきらいのある風潮にあらがって
『世の中というのはもう少し複雑な作りになっているのではないか』
とうじうじ申し上げたのである」

とおっしゃってるくらいで。
どうですか?一文引いてくるだけでもこの長さ!(爆)
だけど、「自分の中にある曖昧な感じ」や
「なんだか訳の分からない概念や違和感」を持っている方には、
この本でいろいろこねくり回された文章で長々と語られる「思い」が、
自分の持っている「曖昧な感じ」や「違和感」と重なることがあるかもしれません。
「そう!自分が言いたかったのはそれなんです!」(キラーン!)
というカタルシスが時々隠れている本。
なんだか最近もやもやするなぁ…という方には一読をおすすめしてみます。
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by yuqui084 | 2008-05-13 17:47 | 読書

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